所有印

 視線が絡みつく。一点だけを見つめる瞳、熱くて。

 もっと、もっと、見つめればいい。
 それしか、俺しか、映らなくなるぐらいに。

所有印

「おい、糞奴隷、そこにある月アメ寄越せ」

 腕を伸ばしての指示。言葉だけでも、それどころか視線ひとつでだって、コイツは理解するけど。
 それじゃ意味がないから。

「……ほらよ」

 差し出された雑誌を受けとるのにも、腕の角度を計算し尽す。

 見えるか? 見てるよな。テメェがつけたモンなんだからよ。

 口角が上がりそうになるのを抑えて、ヒル魔は腕を高く上げて伸びをする。できるだけ自然に見えるように。剥き出しの腕に残された、小さな印が葉柱の目に映る角度を狙って。

 それは、ヒル魔も気付かずにいたくらい小さな、紅い痕。いつつけられたのかすら、定かではなく。

 けれど。

 思い返す、幾つかの視線。絡みつく、熱い、視線。葉柱の。探るような。
そして浮かぶ、安堵に似た色。それとも陶酔。そのゆえに気付かずにいたのは、悔しくはあるけれど。

 気づいたその瞬間の、困惑と羞恥は並々ならない。それはもう、思い出すだけで全身が熱くなるほど。
 マシンガン乱射程度で許される所業じゃないのは、テメェも自覚してるよな? だからこその、この位置、この小ささだ。覚悟はできてるはずだな、糞奴隷。

 思ってヒル魔はまた腕を少し動かす。わざとしているんだとは判断しにくい、自然な動作を、完璧に。だけどまるで気づいていないと安心するには、少しばかり大胆で、不安になるように。
 任せろ、演技は得意だ。精々踊らせてやるよ。俺にあんな恥ずかしい思いさせやがった罪は重いって、思い知らせてやっからな。
 少しワクワクとして、ヒル魔は笑みを噛み殺す。ゲームは始まったばかり。

 ことの始まりは昨夜。珍しくもヒル魔が一人で過ごすことになったのは、なんの含みも企みもない、単なる葉柱の家庭の事情。
 シャワーの後、無意識にリビングのソファに座ってから、舌打ち一つ。いつもは風邪をひくだの早く乾かせだの、口やかましく言っては、甲斐がいしくヒル魔の髪を拭く葉柱がそこにいるから。
 うっかり。そう、あまりにもそれが当たり前になってしまっていたから、ついうっかりして。
 しかたないと洗面所に戻って髪を乾かしている最中に、それは目に入った。

 きっとユニの袖口、ギリギリ隠れる微妙な場所。ヒル魔自身も腕を上げ覗き込まなければ見えない、その場所に。ひっそり残された、小さな小さな、紅い痣。
 最初は虫刺されかと首をかしげて。やがて気づいて。葉柱の幾つかの視線や、ことの最中にそこにキスする葉柱の癖――だと、ヒル魔は思っていたのだけれど――思い出して。

 全身が、火になったみたいに、熱くなった。

 それはまるで、所有印。囚われの身にこそふさわしい、焼き印のように。独占欲の明確なあらわれ、束縛の鎖にも似て。
 そのくせ気遣うように、あまりにも小さな、その印。
 いつものように葉柱と過ごしていたなら、きっとヒル魔も気づかずにいただろう。それがまた、気恥ずかしくて腹が立つ。
 その印が示すそのままに、葉柱に依存し、囚われているような気がして……。

 だから、今日は帰り着くなりヒル魔は、いつもはあまり着ないタンクトップに着替えた。
 あまり着ないとはいっても、なにもまるっきり着たことがなかったわけじゃない。べつに不思議なことでもなんでもない、極普通の選択を装って。
 胸のなかには、悪巧み一つ。だってやっぱり腹が立つ。自分の知らない間にこんなものをつけていた葉柱に。それから、気づいたときの、自分の行動にも。
 最初は誰かに気づかれやしなかったかと、とにかく慌てて、ただもう、恥ずかしくて。滅茶苦茶に腹が立った。
 だけど、気がつけば。
 鏡に映る自分は、微笑んでいた。うっとりと、幸せそうに。二の腕に残されたその痕を鏡に映して、自分でも信じられないくらい、柔らかな笑みを浮かべていた。
 体中を満たしたのは、たしかに陶酔。葉柱の、自分に対する独占欲が、少し歪んだ優越を生んで。

 これ、キスしたら間接キスになんのか?

 そんな馬鹿なことが頭に浮かんで、気がつけばなんとか唇で触れられないものかと、躍起になっていた自分を思い出せば、また全身から火が吹き出そうになる。
 葉柱に見えないようにしつつ、ヒル魔は少し顔を赤らめた。
 鏡に映っていた自分の姿は、そりゃあマヌケでみっともなくて。こんな馬鹿なことをする自分にも、そんな自分にしてしまった葉柱にも、腹が立つ。

 だから。

 マシンガン乱射でなんか、許してやんねぇ。昨夜からずっと、アメフトしてるとき以外はこの小さな痕が気になって。気がつけばそのことばかり考えて。ずっと、そこが熱くて。こんな自分はありえねぇ。俺にこんな想いをさせた罪は、ちょっとやそっとで許されるもんじゃねぇ。

 だから、な。これはゲームって名前の、テメェへの罰。俺に気づかれてるかもって、精々ヒヤヒヤしやがれ。簡単に自爆すんなよ? それじゃつまらねぇ。ちゃんと見てな。ずっと、じっと、俺だけを。
 ゆっくり、じっくり、いたぶってやっから。そのためにも、な、許してやるよ。今日もここにテメェの唇が触れることを。テメェの秘密の独占欲、満たすことを。
 ちょっとの飴があるほうが、鞭の痛みは効くだろ? それだけ。ただ、それだけだ。そう思ってねぇと俺のほうが負けそう、なんて。そんなこと認めてやんねぇ。負けんのなんて、大嫌い。

 だけど。ああ、視線が絡みつく。一点だけを見つめる瞳、熱くて。

 もっと、もっと、見つめればいい。
 それしか、俺しか、映らなくなるぐらいに。

 甘い陶酔。優越感に満たされて。

 テメェが俺に残した所有印が、テメェ自身を俺に縛り付ける。俺がテメェのもんだって証明のはずの、小さな痕。俺にしてみりゃ、テメェを繋ぐ首輪。これがある限り、テメェは俺のもの。

 俺の、秘密の、独占欲。

 ヒル魔は笑う。こっそりと胸の内で。葉柱に悟られないように、二の腕の所有印、見せつけながら。うっとりと。ゲームは、始まったばかり。

 だから今日も、残せばいい。だから今日も、触れればいい。許してやるよ。ゲームは簡単に終わっちゃつまらねぇ。俺を捕らえたテメェの罪は、そうそう許されるもんじゃねぇ。

 ゲームオーヴァーになんか、させてやんねぇ。
 できることなら、一生、な。
                                     END