ヒル魔と初めてキスしたのは、告ったその日。
正確には、やたらと攻撃的で、ヒル魔らしくもなくどこか投げやりな告白を受けて、俺も好きだと白状させられた日ってことになる。
いつもの悪態合戦の延長みたいな告りあいは、思い返せば苦笑するしかないけれど。その時のヒル魔の微かに震えていた手や、うっすらと赤く染まった目元。いつもより少し力のない、潤んだ瞳。全部がただもう、可愛くて。
いきなりの奴隷解放宣言。解散後一人残された俺にヒル魔が告げたのは、最後の命令だ、送れ。そして初めて迎え入れられたヒル魔の部屋で、まだ衝撃から抜け出しきれない俺に、吐き捨てるように告げられた、解放のもう一つの理由。
「テメェに、惚れた」
だから、もう、テメェなんてイラネェ。
恋愛なんかに振り回されてる時間はない。
だから、もう、いらない。
これで最後だ。解放してやる。俺の前から消え失せろ。
なんだそりゃ。そう思うよな、誰だって。
惚れた、に続く言葉がなんだってまた、もういらない、になんだよ。消え失せろって、なに。
瞬間キレて思わず怒鳴った。
ふざけんな、簡単にイラネェとか言われて納得できるか。俺の気持ちをまず聞きやがれ。
簡単っつったか、テメェ。ざけんなたぁ、こっちの科白だ糞奴隷。俺がどんっだけ悩んだと思ってやがる。カメレオンのくせにご主人様泣かせるなんざ、生意気だってんだよ。この糞爬虫類が。
一怒鳴れば三は返ってくる。怒濤のマシンガントーク。だけど内容まで頭回ってないだろ、テメェ。
泣いた、のか? テメェが? 俺を想って……泣いたの?
言わず、暴れる身体を無理矢理引き寄せて、抱きしめた。
硬直するから、なんだか可哀想な気すらして。だけど、それがまた、可愛くて。
なんだか少し苛めてみたくなったとは、絶対に言えねぇ。
「返事、聞かねぇの? それもイラネェ?」
素直に答えるのを避けて言えば、珍しくも黙り込む。
きっとテメェの予想する俺の返事はNoだったはず。抱きしめられるなんて、きっと想定外。それもまぁ、当然かもしれないが。
500万をカタにの奴隷業。プライドへし折られてタクシー代わりに呼び出されまくって。誰が惚れると想定できる。
俺だって信じらんねぇよ。なんで自分をこき使う悪魔になんて、惚れたのか。
「……返事、聞か、せろ……」
こんな時でも命令口調かよ。だけど震える声と身体。少し俯いて。
仔猫みてぇ、なんて言ったら蜂の巣は確実だから。それは言わぬが花。
「返事、これな?」
細い顎指で掬い上げて、触れるだけのキス。見開かれた眼が本当に猫みたい。
今の、なに? そんな言葉が聞こえそうな無防備な顔して、小さく首を傾げるから、たまらずもう一度。今度はもう少し深く。
真っ赤に染まった白い肌。潤んだ瞳、震える唇。腕のなかで戸惑うヒル魔。有頂天になってもしかたねぇだろ、なぁ、おい。
もう少しいっちまってもいいかな。つか、これ、スゲェくる。このままベッドにって、有りか?
思いながら舌を差し入れようとした途端、いきなりの抵抗。必死って感じに、俺の胸を押し戻そうとする。
やっぱり急すぎたか。信じらんねぇけどテメェ、なんか慣れてねぇみたいだし。
苦笑混じりちょっと残念に思いながら、キスから解放してやれば。
なぜそこで睨む。
「へ、返事! まだ、聞いて、ねぇ」
「……今しただろうが」
「してねぇだろ! んなもんで判るかよ!」
いや、そこは判っとけよ。
「返、事……」
上目遣い、なんだか泣き出しそうな風情で。有り得ねぇだろ、悪魔の罠か?
だけど腕のなかの細い身体は、確かに震えてて。
「好きだ。テメェに惚れてる」
言ってやればますます潤む瞳。
だから、なんでそこで睨むんだっつうの。
「言うのが遅ぇ! そういうことはテメェからさっさと言え! ッダァ、もー、糞ッ! 悩んだ時間が無駄じゃねぇか、返せっ、返しやがれ! 俺の時間!」
……判ってるようで、判ってなかった。悪魔はやっぱり悪魔なんですね。 仔猫みてぇとか夢見た俺が馬鹿でした。
青筋立てちまうのはデフォ。肩は落ちても。
ああそりゃ悪かったなぁ。テメェが俺に惚れるなんて有り得ねぇと思ってたもんですから。
そこで諦めっからテメェはヘタレなんだってんだよ。押せ。チャレンジしろ。奇跡も一度ぐれぇなら起きるかもしれねぇだろうが。
奇跡かよ。んなに可能性低くは見積もってなかったっつうの。
目算甘ぇぞ、糞奴隷。この俺様が奴隷に惚れるなんざ、地球が逆回りするぐれぇの確率だってんだよ。
「けど、惚れたんだ? 俺に」
抱きあったままでの怒鳴りあい。言葉尻捉えてニヤリ笑って言ってやれば、火が噴き出そうなくらい、真っ赤に染まったヒル魔。
絶句。するような可愛いげは、勿論、ない。
マシンガン乱射の後で、お互い息切れ。ちょっと気まずく見つめあったのは、もう夜も更けた頃。
「あー、と、そろそろ、帰る、な?」
「……オゥ」
「んじゃ、まぁ、明日から、よろしく」
「ん……恋人兼奴隷業、精々頑張れ」
「奴隷兼業かよ!」
「ッタリメェだ、糞奴隷。ほんとテメェ目算甘ぇな」
ケケケって笑う。けど、耳、まだ赤いぜ。
可愛くて、玄関先、腕引き寄せておやすみのキス。
銃弾の雨が降る前に退散した。
んで、翌日だ。早速修羅場に近い喧嘩したのは。
明日からもなにも、テメェ、アメリカ合宿ってなにそれ。付き合うもなにも、いきなり40日も逢えねぇって有り得ねぇだろ、おい。
喚いて怒鳴って睨みあって。折れたのは、俺のほう。
とりあえず、正式なお付き合いは帰国した日からってことで。
長かった夏休み。俺らも当然合宿あって、一夏丸々汗かきまくって。
淋しいとか、逢いたいとか。全部飲み込んで我慢した夏休み。
再会したヒル魔は相変わらずのご主人様っぷり発揮しながら、それでも、今日からはちゃんと恋人だよな? なんて、ちょっと首傾げて不安げな仔猫みてぇに腕のなか聞いてきたから。
嫌だっつっても、もう変更きかねぇよ。なんて、ちょいとクサイ科白とお帰りのキス。甘い蜜月の始まり……の、はずだったのが。
それから更に、20日近いわけなんですけど?
いまだにおやすみの軽いキスだけ残して帰る俺って、健気すぎねぇ?
「おやすみのキスでも固まりやがるしなぁ……」
溜息ぐらい吐かせろ。こんなスローペースな恋愛、初めてだっつうの。
でも……恋愛、だったかな、今までの相手って。
思い返せばわからなくなる。
人並みに初恋やら初体験やら経験しちゃいるが、『恋愛』かと聞かれりゃ、ちっとばかり悩む。
初めての相手は中学の先輩。飲み会の席で酔いに任せてなんとなく。初体験が便所で立ったままってなぁ、あまり人並みたぁ言えねぇか?
まぁそりゃともかくとして。
特に付き合うってワケじゃなくても、女が切れたことはあまりない。大概は向こうから言い寄って来たし、断る理由もなかったし。アメフトの邪魔にさえならなけりゃ、それなり楽しかったしな。
けど、それって、『恋愛』か?
「……マジかよ」
うっわ、俺、もしかしてまともな恋愛してんの、ヒル魔が初めてか? いや、まともとは、言えねぇか。男同士だし、相手、悪魔だし。って、俺、マニアックすぎねぇ? まぁ、ちょいSM入ってるぐらいのセックスのが好みなのは確かだけど……。
「って……ッダァ! 問題そこじゃねぇ!」
いや、それもあるけど、でもまだそこまでは……ッダァァ! 勘弁してくれ。ああ、もう、煮詰まってんだよ。いい加減。
セックスとは言わねぇ。いや、したいけど。けどでも、まずはキス。もう少し本格的に。それぐらいは許される時間はとっくに経ってる。
アメフト優先はお互い様。だから無理強いなんてしてねぇだろ。せめてキス。もう少しテメェに近づきたいだけ。もっとテメェを知りたいだけ。
だけど。
「泣かせちまいそうだしなぁ……」
大事にしてぇんだよ。本当に。もっとか弱い女達より、悪魔みてぇなテメェを、守りてぇんだよ。強すぎるテメェを。
キリキリ張りつめてるヒル魔、切れそうでたまに怖くなる。だからせめて俺の腕のなかでくらい、仔猫みたいに甘えてほしい。
もっと、もっと、愛したい。愛されたい。
大事に、したい。
思考はグルグル回って元に戻る。
ああ、もう、本当に。
泣かしちまう前に、キス、させて?
臨界点は、多分、もうすぐそこ。
END