MISCALCULATION

 夏休み最後の一日は、移動で半日過ぎた。アメリカから日本へ。デス・マーチをやり遂げた感慨やら、ましてや約一月半ぶりの日本に対する郷愁なんて、欠片も浮かぶことなく。ただひたすらに、頭のなかは秋大会のためのデータと戦略に埋めつくされてた。
 当然だ。そのためのアメリカ合宿。そのためのデス・マーチ。思考も時間も、すべてはクリスマスボウルのためにある。

 だけど、疲労は抜けきってはいないから。

 一夏丸々離れてた日本の空気を吸い込めば、不意に思い浮かんだ顔に、舌打ち一つ。懐かしいなんて言葉、さっきまでは思い浮かびもしなかったってのに。
 さすがに疲れてんだな、俺も。そのせいだと、自分に言い訳。少し不思議そうな糞チビどもの視線がわずらわしい。

「なんかヒル魔先輩、機嫌悪くねぇか?」
 こそこそ言ってるファッキンチビ共を、ぎろり、睨んで。
「とりあえず今日はこれで解散。寄り道すんなたぁ言わねぇが、しっかり体は休めとけ。明日の朝練はねぇ。その代わり放課後は基礎練から実践練習まできっちりやっからな」
 一息に指示して、散れと手を振る。

 重い荷物担いで電車で帰んのメンドクセェ、と思った瞬間、また思い出したのは、あいつの顔。

「ヒル魔さんは一緒に帰らないんですか?」
 すくんだまま、それでも話しかけてくる糞チビ。こいつも図太くなったもんだ。
「あ? あー、そうだな……」
 夏休み前まで、一人での移動はいつもバイクだったから。呼べばすぐに飛んでくる、奴隷がいたから。
 だから、思い浮かぶだけ。それだけだ、他意はない。
 第一帰国の日程も教えてなけりゃ、迎えの電話もしちゃいねぇ。命令でもなく奴がこんなところに来るわけねぇし、命令する気も毛頭ない。俺が決めて、俺が下した決断だから。

 なのに。

 なんでいやがんだ、テメェ!

 ロビーのソファに見つけた白。まるで視線が勝手に引き寄せられたように、網膜に焼き付けられた、鮮やかな、白。
 つか、な。テメェなんで白ランよ? 見てるだけで暑苦しいっての。
 思わず凝視したのは、有り得ない光景に呆れたから。あの汚れを知らぬげな白に見惚れただとか、ましてや言葉をなくすほど嬉しい、だとか。そんなこと、あるわけがない。認めない。

「あ、葉柱さんだ」

 見りゃ判るっつの。いちいち口にすんな、糞チビ。

「お迎えつきかー。奴隷とはいっても、ヘッド自らだもんなぁ。葉柱先輩律儀っすね」

 うるせぇぞ、糞猿。俺はべつに命令なんかしちゃいねぇよ。

「ヒル魔くん、まだ葉柱くんのこと奴隷扱いしてるの? 夏休みだっていうのに、迷惑じゃない」

 黙れ、糞マネ。迷惑もなにも、俺は呼んでねぇっつってんだろっ。
 呼ぶわけねぇだろ。呼べるわけがない。あいつは、もう、奴隷じゃねぇんだ。

 糞チビ共がペチャクチャやかましいせいで、気付かれちまったじゃねぇか。俺を真っ直ぐ見据える視線。相も変わらぬ人相の悪い三白眼。
 ゆらりと立ち上がる。ふわりとはためいた純白。

 綺麗。

 そんな言葉が浮かぶのを、無理矢理心から締め出せば、ゆっくり近づいてくる。笑いもせずに。
 相変わらず長い腕。少し顔つき変わったか? 引き締まった印象。あんま焼けてはねぇけど。テメェ色白すぎだろ。俺も人のこと言えねぇけどよ。

「……よう」
「おう……」

 短いやりとり。こいつの声も、40日ぶり。
 舌。舌出てるっての。みょーん、って。精一杯仏頂面してるつもりなんだろうけどよ、眉は思いきり下がっちまってるし、舌、だからその人外な舌! みょーんってだらしなく垂れ下がった、その舌、なんとかしろっての!
 あー、畜生、笑っちまうだろ。情けねぇ面してんな、賊学ヘッド。ナメられたら終りなんじゃねぇの? しまっとけしまっとけ。
 じっと見てたらしゅるんと引っ込む舌。これ見るのも久しぶり。相変わらず有り得ねぇ光景だよな。さすが人外。器用なこった。ナメられんのはNGでも、舐めるのは巧そうだ。色々と。

 ……って、オイ。なに考えてんだ? 俺。馬鹿みてぇ。

 こいつの顔に安心してんの。ああ、帰ってきたんだなぁ、なんて。思う自分に、ムカつく。
 大体なんでこんなとこにいんだよ、テメェ。誰かの見送りか? つか練習どうした。テメェら弱いんだからよ、休んでる場合じゃねぇだろうが。なんのために解放してやったと思ってんだ、糞奴隷ファッキンスレイブ……もとい、糞カメレオン。

 頭のなかをぐるぐる回る言葉が声になる前に、ん、と手を出されて。ん、って自然に荷物渡してる自分。
 疲れてんだよ。だから。そう、他意はない。

「んじゃ、明日な」
 糞野郎共の顔も見ず言って歩きだせば、ほんの少し後ろをついてくる。いつものように。だから。

 あぁ、帰ってきたんだなぁって、また思って。口許が少し笑っちまった。
 ムカつくけど、な。

 聞き慣れた爆音。生温くて湿度の高い空気を切り裂いて走る。肌を嬲る風が心地良い。
 乗り慣れたバイクのタンデムシートは、いつもの横乗り。運転中は邪魔になっから、荷物は俺が抱えて。危ねぇって煩く言うから、右手は奴の腰に。慣れた仕草が自分でも笑える。
 手に伝わるシャツ越しの感触、少し違う。やっぱりちっと引き締まったか? それなりに鍛えてんじゃねぇか。ちゃんと練習してたんだな、褒めてやるよ。ま、勝つのは俺らだけど。

 ……おいおい、ヤバイだろ、俺。なに浮かれてニヤケてんだよ。

 思った端からまた浮かぶ苦笑。今更、か。そうだな。今更、だ。

 ヤバイな。と、思い始めたのは、結構前のこと。自分でもなんでこんなにハマってんのか、判りゃしねぇ。そもそも最初から俺らしくない行動だったと、今も思う。
 思い返す高一の春大会。初戦は勝てるはずだった。たった一本のキックさえ決まれば。
 勝利を掴むはずのキックはお預け食らったまま、当初のプランにはない敗退の二文字を噛みしめた。
 しかたねぇ。どうしようもねぇことは、世の中いくらだって転がってる。誰も恨めないし、恨みようもない。
 ただ、予想外の焦燥と、胸にポッカリと穴が開いたような不安が、腹立たしかった。

 元々メンバーは寄せ集め。勝つために打てる手も限られた状況。キッカーが抜けた今、次の秋大会に勝つ見込みは限りなく0に近い。
 本当の勝負は来年。今年はその布石の為のデータ収集だと割りきった。
 使える奴と使えない奴。最善の使い道。データが必要なのは味方も同じこと。数字だけじゃ見えない適正を見極めて。
 来年の新入部員に期待するのはリスクが大きすぎる。中学からアメフトで鳴らした奴は当然名門校に行くし、今年の結果をみればやる気のある経験者がくる可能性は低い。つか、ほとんど皆無。
 俺と糞デブでどこまで使える奴を集められるか、その寄せ集めの助っ人どものポテンシャルをどれだけ引き上げられるか。勝負の鍵はそこだけだと思っておくほうが、無難。

 だからって、諦める気は、これっぽっちもありゃしなかったが。

 割り切っちまえば、思考はすぐに切り替わる。切り替える。前しか見る気はねぇから。てっぺんだけ、見てるから。
 負けたからってそれですべてが終わるわけじゃない。一人抜けたからって諦めるわけにゃいかねぇ。来年のために、アイツが戻ってきた時のために、やることは山ほどある。敵を知るのも戦略の大事な第一歩。
 うちがそれを狙っているように、今回早々に敗退したチームのなかにも、一年後には台頭してくる奴らはいるだろう。データは多いに越したことがない。
 だからできるかぎり試合には足を運んだ。弱小同士のカードは奴隷を使ってビデオに撮らせるのが常だったが、少しでも気になりゃとにかく足を運んで、自分の目で確かめた。
 殊更自分の目にこだわったのに、理由をつけようとは思わない。不安だとか、ましてや淋しいだとか、そんなもんに囚われるのが怖いだなんて。忙しさを、アイツさえいてくれたらなんていう、後ろ向きな期待を忘れ去る手段にしてただとか。
 そんなもんは認めない。考えない。限られた時間のなかに、そんなくだらねぇセンチメンタルが入り込む余地なんざ、ありゃしねぇ。

 言い聞かせながら、毎週足を運んだ幾つものグラウンド。奴を初めて見たのも、そんな試合のひとつ。

 爆音のなか見つめる白い背中に、甦る記憶は未だ鮮明。

 うちも大概酷かったが、奴のチームも俺らと張るほどメンバーに恵まれてなくて。でも、勝ったチームより、よっぽど印象は強かった。たった一人のために。

 賊学カメレオンズ、LBラインバッカー葉柱ルイ。まだ1年だった、お前。俺と同じ。
 名前だけは知っていた。兄貴はわりと有名なLBだしな。賊学が強豪張ってたのは、あいつの兄貴の力だろう。
 とはいえ、兄貴の七光りで手に入れたポジションってわけでもなさそうだと判断した。本人もそこそこできる。つうか、あの頃の賊学で目に付いたのはあいつくらいのもんだ。
 だけど、パソコンに残したデータのあいつは、特出した輝きを持たない。データがそれを示してる。
 石ころとは、言わない。でも、宝石とも、言えない。まだ、到底、言えない。データが示して、俺が下した、あいつの評価はそんなもの。

 その時は。

 ガタイはそれなり。でも、まだ1年。兄貴の体格を思い浮かべれば、あいつも結構デカくなんだろう。
 腕、長ぇな。反射速度も、悪くない。これでガタイが出来上がりゃ、あの腕は立派な武器になる。
 反射速度も、まだ甘いとこはあるが、経験値積めばテメェ抜くのはワリと難儀しそうだ。ま、やり方次第だがよ。
 なんか、戦い方、正反対みてぇだな、俺ら。俺は常に先を読んで動くけど、テメェは相手に合わせて動くだろ? 俺はとにかく攻撃重視。テメェは防御に重点置いてるみてぇだし。
 スタンスはどう見ても、正反対。

 なのに、なんでだろうな。似てる、なんて言葉が浮かぶのは。

 ダラダラとフィールドを後にする、やる気なさげなメンバーを、ただ独り、治まりきらねぇ闘志をギラつかせて睨みつける目。そこらの上っ面だけ粋がった野郎なら、ビビリあがってすくんじまいそうな目ぇしてやがる。
 なんか、イイな、テメェ。好きだぜ、俺。そういう目ぇした奴。悪くねぇ。
 脱ぎ捨てたメットを掴む手が震えてた。悔しいか? ムカつくか? そりゃそうだろうな。わかるぜ。だって、テメェんとこ、アメフトやってたのテメェだけだもんな。
 後の奴らはテメェにとっちゃ人数合わせでしかねぇだろ。少なくとも、腰が引けながらもへらへら笑って、テメェを宥めてる奴らのやる気は、0。
 そいつら2年か? ウゼェよな。早く生まれたってだけで、実力もねぇ奴らが幅利かせられる世界じゃねぇよ、アメフトは。
 なぁ、そんな奴らのさばらせておくタマじゃねぇだろ? そういう面してるよ、お前。負けてなお強い光を失わない、支配者の目。手段はどうでも、やり遂げることをテメェ自身に課しちまった奴の目を持ってる……あー、と、葉柱ルイ? OK覚えておくぜ。ハハ、記憶力には自信あんだ。

 なぁ、とっとと思考切り換えて、次の戦略練れよ。テメェらもう敗けたんだから。だけど敗けっ放しにする気はねぇよな。そのための作戦、もうわかってるよな。
 次にフィールドに立つ時は、テメェが名実共に大将になること。それがテメェらにとっての、勝利の第一条件。だろ?

 ああ、目に浮かぶぜ、その光景。

 思わず口許が笑ったその瞬間に、不意に、奴がこっちを向いた。
 ドクン、と、鼓動が跳ねた。顔中に笑みが広がっていくのが止められなかったのを、はっきりと覚えてる。

 こんなふうに笑ったの、アイツが抜けてから初めてじゃねぇ? つか、なにこんなワクワクしちゃってんだ? 俺。
 離れてるのに、お前、俺を見つけたの。ほかの誰でもなく、この俺を。
 睨みつける視線、まっすぐで。まるでレーザービーム、射抜くように。
 ガラにもない逡巡。目を逸らさずにいるのに、精神力が必要だったことなんて初めてで。湧き上がる歓喜が、自分でも不思議だった。

 支えになれる仲間もなく、あるのはテメェ自身の才覚と、両手にしっかり抱えこんじまった夢と渇望だけ。

 ああ、だから俺は。だからこそ、俺は。

 お前を見つけた。

 俺と同じだから。

 お前に惹かれた。

 欲しいと思った。


「おい、着いたぜ」
 少しいぶかしげな声で、記憶のなかを漂ってた思考を現在に引き戻されて、ちょっとだけ慌てた。そんな素振りは決して見せねぇけど。

「おう、ご苦労。糞奴隷」
「カッ! もう奴隷じゃねぇての!」

 もう少し乗ってたかったな、なんて。ほんのちょっぴり思いながらアスファルトに降り立てば、懐かしい悪態に、いきなり胸が痛んだ。少しだけ。

 ああ、そうだよ。もうテメェは俺の奴隷じゃねぇ。もう、俺のもんじゃない。
 最初から、俺のものでなんかなかったんだろうけど。

「じゃあなんで来たんだよ。俺は迎えに来いなんて命令してねぇぞ」

 からかうように言ったつもりが、存外真剣な響きになっちまって、思わず舌打ちしそうになった。
 今の言葉はきっと、ずっと、胸にあった問掛け。
 初めてコイツを奴隷として使った時から不思議だった。なんでテメェ俺に使われてんの?
 500万なんて約束、テメェを拘束する枷には不十分だと思ってた。俺としては、とりあえず500万で敗北感与えて、後は脅迫手帳の出番って段取り組んでたんだけどな。
 テメェの賊での地位が、実力で勝ち取ったもんだってことぐらい、知ってる。兄貴の七光りや、親父の権力なんてほんの添え物。テメェ自身の支配力が本物なことぐらい、テメェを知ってる奴なら誰だってすぐにわかる。
 あんまり欲しい欲しいが強くなりすぎて、いっそ奴隷にしちまえば幻滅できるかと思ってた。
 試合を見てるだけじゃわからなかったテメェの素顔。あの練習試合に勝ったまでは計算どおりだったのに、いざ奴隷にしちまったら色々と計算違いも甚だしくて。あんなに潔く土下座するとは思わなかったし、こんなに使える奴だなんて考えてもみなかった。
 そもそも、ヘッドのこいつが率先して俺に使われるなんて、普通考えねぇだろ。テメェだったら命令ひとつで手下が動くだろうに、律儀に自分から動くから。奴隷の身に甘んじて、そのくせ、ほかの奴らと違って決してプライド折ったりしなかったから。

 だから、俺は。

「……命令されなきゃ、俺は動いちゃいけねぇのか?」
 少しだけ掠れた声で、エンジンはかけたまま。ほんの少しうつむいて、それでも視線は俺から逸らさずに。

 なんだ、これ。なんでこんなに速くなってんだ、俺の心臓。つか、なんか期待してねぇ? 俺。
 期待って、なんだよ。なにを期待するってんだ。
 勝手に速まってんじゃねぇよ、心臓。鼓動がうるさくて、ポーカーフェイス、保つのもやっと。ありえねぇ。

「命令されなくても自分から俺の役に立つってか? 奴隷の鑑だな」

 からかってるように聞こえたか? ちゃんと、ご主人様のポジション守れてっか? 気取られるのなんて、真っ平。弱みは絶対に見せたくねぇ。恋愛は惚れたほうが負けってよく言うし。

 ……って、ダァーッ! 恋愛ってなんだよ。俺、こいつに惚れてんのか? ありえねぇだろ、それ。男だぞ? や、まぁそれはべつにいいけど。差別する気はねぇし、惚れちまったならしょうがねぇけど。
 いや、落ち着け、俺。性別はともかく、人外はまずいっての。見ろ、あの長ぇ腕。人のサイズじゃねぇって。おまけに舌。反則だろ、それ。みょーんって伸びるんだぞ? マジで爬虫類だっての。

 けど。

 長い腕、束縛されんのなんてごめんだが、こいつの腕なら俺を抱きしめてもまだ余裕ありそう。舌も、見ようによっちゃ可愛いしな。キスとかしたら、どうなんのかな。あの舌。

 だから。

 落ち着けっての。

 ああ、認める。誤魔化したってしょうがねぇ。今更だ。
 見てたよ。ずっと、テメェのこと。テメェが俺を知る前から、ずっとな。
 賊学の試合は全部自分でチェックしてた。テメェが主将になったときなんて、PCにデータ打ち込みながら顔が勝手に笑っちまって困った。
 俺と同じテメェが頑張ってる。認めたくねぇけど、それが支えになってた。
 テメェが欲しかったよ。ずっと。傍においておきたかった。ダチみてぇに一緒にアメフトの話して、馬鹿言って笑って、喧嘩して、仲直りして……そんなことが、してみたいって。負け試合の後は考えてもしかたねぇってわかってても、アイツが……ムサシがいたらどうだったろうって浮かぶことあったけど、いつの間にかテメェと同じチームだったらに変わってた。
 どうにもならない、愚にもつかないそんなこと考えて、頭のなかでシミュレーションするあいだ、俺は確かに楽しんでた。

 現実にするプランは、立てないまま。

「だからっ! もう奴隷じゃねぇっての!」
 判ってるから何度も言うんじゃねぇよ。淋しいとか、辛いとか。そんな感情ぐらい、俺にだってあんだよ、これでもな。
 もっとも、そんなこと感じてるなんて、知られたくはねぇけど。
 これでも楽しかったからよ。テメェと過ごした時間は。始まりがアレだし、憎まれるのは覚悟の上だが、嫌悪されんのは結構堪える。

 ああ、そうだ。だから俺は、テメェを解放した。
 アメフトのことしか、クリスマスボウルしか、今は考えねぇ。他人の感情ひとつに傷ついてるような時間はどこにもねぇ。
 だから、断ち切った。自分の気持ちに気づいちまう前に。テメェと俺を繋ぐ、奴隷って枷を。

 それなのに。

「奴隷とかそんなんじゃなくて、テメェに逢いてぇって……思っちまったんだから、しょうがねぇだろ……」
 俺の目の前で、バイクにまたがったまま、いよいようなだれる糞カメレオン。語尾が掠れて、消え入りそうな声で。

「ああ、そうだよ! しょうがねぇだろっ、逢いたいなんて思っちまったんだから! 奴隷はともかく、楽しかったんだっつーの! テメェとアメフトの話したり、たまに馬鹿言い合ったりすんのが、俺は楽しかったんだよ! 自分でも信じらんねぇけどなぁ!」

 いや、お前、喚くなよ。そこ喚くとこじゃねぇだろ。
 つか、なに? え? テメェなに言ってんの? 頭、働かねぇ。脳内CPUフリーズ。解読不可能。
 うつむいたまま喚き散らす言葉の意味。赤く染まってる耳。ちゃんと聞こえてるのに、ちゃんと見えてるのに、理解が追いつかない。どんな対応すりゃいいのか、判断できない。

「自惚れてるだけだろうけどよ、テメェ俺と話してるとき、たまにすっげぇガキっぽい面して笑うの。楽しくてしょうがねぇって顔で。なんか、それ見てんの……好きだなぁとか、思って……」

 ああ、落ち着いたか。うん、一応往来だしな。喚くのはやめとけ。つかよ、テメェ声震えてねぇ? まさか泣いてんのか? そりゃヤベェだろ、曲りなりにも最凶の看板背負った賊学ヘッドなんだしよ。
 いや、それはいい。それは今は関係ねぇ。
 問題は言葉の内容だろ、俺。考えろ。こいつが言ってる言葉の意味を。

 ……好き……?

 今、こいつ、好きって、言ったよ、な?
 それがなにを指し示して言った言葉なのか。

「……テメェに、惚れた……んだと、思う……」

 テメェ。って、誰。ここには俺とテメェしかいねぇんだけど。惚れたって、なに。なんで。だって、そんなプラン、立ててねぇし。

「気色ワリィって思われてもしょうがねぇけど……とりあえず、言っておきてぇって……ヒル魔!?」

 やっと顔を上げた奴が、ぎょっと目を見開いてる。ただでさえ目デカイから、なんだか零れ落ちそうだ。
 っていうか、なに慌ててんだ、こいつ。ああ、雨か? なんかさっきから顔が濡れてる気がしてたんだ。雨降ってきたのか。そのわりにゃ陽射しは相変わらず暑いし、やけに眩しいけど。

「……なんで、泣いてんだよ……」

 バイクから降りて、長い足で駆け寄ってくる糞カメレオン。俺まで後一歩半で止まる。長い腕伸ばしたら、きっと俺に届く、その距離で。

 泣いてるって、俺が? これ、雨じゃなくて涙か。俺、泣いてたのかよ、みっともねぇ。
 思っていれば、頬に温もり。やっぱりテメェなら届くんだ、その距離でも、俺に。おずおずした仕草で頬を拭うのは指先。いっそ舌で舐めとられたなら笑えたのに。

 触れた指が、あんまり優しかったから。

「……っの、糞馬鹿カメレオン!」
 考えるより早く、怒鳴ってた。思い切り。だってそうしねぇと、息が詰まって、うまく呼吸もできなくて。
 ビビッたのか身体仰け反らせて指先離すから、思いっ切り睨みつけた。
 こんなときにへたれてんじゃねぇよ、テメェ。こういうときこそ決めてみせろっつぅの。

「言うに事欠いてだと思うってなぁなんだ! だと思うって! なんで、惚れた、じゃねぇんだよ! つか、遅ぇんだよ、言うのが! そういうことはさっさと言えってんだ、糞バッカメレオン!!」

 考えるより早く飛び出す言葉。さっきのこいつよりやかましく喚きたてる。
 だってもう、涙なんて見せちまって。きっと顔も真っ赤で。こんなんで計算したって、しょうがねぇ。
 つか、計算、追いつかねぇから。

「カッ! そりゃ悪うございました! テメェに惚れた、つきあってくれ! これでいいかよ、極悪外道!」

 怒鳴り返してくるかよ。真っ赤な顔で、青筋立てて。でもって、舌。舌垂れてるって。みょーんって。
 やっぱテメェ人外なのな。それなのに。

 可愛いとか。嬉しいとか。幸せ、だとか。

 そんなもんでいっぱいになるなんて、ありえねぇ。マジで計算違いもいいとこ。本格的にイカレたか? 俺の頭。

「……で、テメェは、どうなんだよ。その、返事は……?」
「聞きてぇか? ならついてきな。んなとこで告白合戦やらかす気はねぇからよ」

 勝手に零れる笑みを止めないまま言ってやれば、ますます赤くなる。
 ま、べつに今ここで言ってやってもいいんだけどな。惚れてるって。自覚したのはついさっきだが、ずっとテメェに惚れてたって。いや、それはさすがにマズいか? つけあがらせんのは癪に障るしな。それぐらいは計算しねぇと落ち着かねぇ。

「あ、テメェ奴隷延長な」
「あぁっ!? なんでそうなんだよ!」
「あん? だって俺、テメェのこと多分これからも、扱き使うし。ま、ご主人様の命令じゃなく、恋人のお願いだとでも思っときな。そうすりゃやるこた同じでも、ちっとは気分もいいんじゃね?」
「……カッ! テメ、それ、返事にしか聞こえねぇよ……」

 ああ、確かにな。また計算狂ったか。

「あっそ。んじゃ、もう返事いらねぇな。帰るか?」
「……いや、ちゃんと聞かせろ。聞きてぇ」
「誰に向かって命令してんだ?」
「……聞かせてください、お願いします。これでいいかよ!」

 真っ赤になって、舌垂らして。青筋立てながらニヤケてんなよ、器用な奴。
 赤いのは俺も同じか。さっきから顔がアチィ。

「んじゃ、ま、Come on a my house」

 その後は、計算しねぇ。プランは立てない。
 こいつ相手じゃ計算したって狂うのがオチな気がする。
 だから、もう。

 こっから先のことは、嬉しい誤算の範疇で。

                                     END