バトルシーンってむずかしいけど楽しいよね

先日のブログでも書きましたが、年年歳歳(義炭)の『ワクワクドキドキときどきプンプン 3日目』をブラッシュアップしてるんですけどね。自分で書いておきながらなんですが……

バトルシーン、めっちゃ頑張ってる!

手前味噌で申し訳ないです💦 でも読み返すと、当時の私よくこれ書けたなって思うんですよね。
登場人物の多さもさることながら、アクションシーンっていうかバトルシーンががっつりあるのに、よくまぁ書き上げたもんだよ。
原作の戦う彼らが好きですから、やっぱり強いみんなが見たいし書きたくなるんですよねぇ。だけどバトルシーンを書くのって、えらくむずかしくって(;´д`)トホホ…
原作軸のほうがバトルシーン少ないのは、いかがなもんかと思いますが……パロのほうが戦ってるもんね💦 あと、原作軸だと技名出してなんちゃってバトルで終わらせてるのもどうにかしたい……。

普通のシーンも悩むことに違いはありませんが、バトルシーンやアクションシーンは、よりテンポや描写に悩みます。動作を事細かに書いたら文章のリズムが悪くなるし、かといってどういう動きをしているのかさっぱりイメージできないんでも困りますしね。

『手袋を買いに行ったら~』のように詳細な描写なしのバトルなら、書くのもさして苦じゃなかったんですが(アクションシーンは大変だったけどね)、ワクドキや『水天の如し』(義炭)みたいなバトルシーンは、動きの描写にホント苦労しました!💦
どうしても細かく動作を書かなきゃ伝わらない気がしちゃって、スピード感のない文章になりがちなんですよねぇ。

たとえばですね。水天で書いたのはこんな具合。あ、空行は省いてます。

 不意にぐっと義勇の長身が沈んだ。と、思うまもなく下からすくい上げるように襲いかかってくる刃を、炭治郎はパッと跳んで避けた。
 思ったとおり、猛攻は見せ手だ。本命の太刀は別の方向からくる。錆兎との手合わせでは、よく引っかかった。こちらが思考する余裕がなくなったころに、確実に仕留めるための手に出るのだ。
 ここで即反撃に出られるかが勝機の鍵だ。真菰にも錆兎にも言われた。だが。
「早っ!」
 炭治郎が反撃に出る隙など、ありゃしない。炭治郎の足が地につくかつかぬかのうちに、義勇は、大きく踏み込むと水平に刀を振り抜いてきた。
 間一髪、立てた刀で攻撃を受け止めはしたが、受け切るには体勢が悪い。踏ん張るための足はまだ、地面を踏みしめてすらいなかった。
 振り抜かれる勢いそのままに吹っ飛ばされ、岩壁へとぶつかる寸前、炭治郎は空中でくるりと体を捻り壁を蹴った。
 飛ばされた反動を生かし、射かかる矢のようにまっすぐに義勇へとめがけて跳んだ炭治郎は、グッと刀の柄を握りしめた。構えた刃を、先の義勇のように水平に払う。体に叩き込んだ、水の呼吸の壱の型。だが。
 切っ先すら、義勇には、届かなかった。
 義勇の体に炭治郎の刀剣が肉迫するより早く、義勇の姿は消えていた。どこに。思う暇などありはしない。空気の流れ、かすかな匂い、炭治郎はとっさに地面に手をついた。
 ――上だっ!
 悟った瞬間に、炭治郎は腕の屈伸を使い、横へと跳ねる。
 真上から振り下ろされた義勇の刃は、もし炭治郎が反応できずにいたなら、頭から竹のように真っ二つにしていたことだろう。義勇は、本気だ。手加減なんて、一切していない。

 目くらましだろう、義勇が蹴り飛ばした石が、炭治郎の目をめがけて飛んでくる。キィンと高い音と火花を立てて、石を弾き飛ばしたのと同時に、目前に迫った切っ先を避けて炭治郎はしゃがみ込み、下からすくい上げるように刃を振るった。
 義勇に倣う形になったが、義勇は、炭治郎のように飛び跳ね逃げることはなかった。背をのけぞらせ紙一重で切っ先を避けるのにあわせ、義勇のつま先が跳ね上がり、炭治郎の手を蹴り上げる。刀がくるくると回転しながら空を飛んだ。
「あっ!」
 しまったと思った瞬間、くるりと獨楽のようにまわった義勇に、炭治郎自身も蹴り飛ばされていた。
 受け身を取らなきゃ! 脳裏に浮かぶと同時に、どうにか身を丸め、地面に叩きつけられる衝撃を逃がす。それでも、息はどうしたって詰まった。

……うん、頑張ってはいるけど拙いね💦 ワクドキより執筆時期はずっと後なのになぁ。むしろワクドキのほうが疾走感ある気がする。
なんでだろうとブラッシュアップしつつ改めて考えてみると、ワクドキはそれこそ疾走感重視で、全体的に見ると動作についてはそこまで細かく描写してないんですよね。
ちょこっと抜粋してみるとこんな感じ。

 不安要素があるとすれば宇髄や煉獄を盾にとられることだがと、飛んでくる蹴りを避けつつうかがえば、宇髄が一人を投げ飛ばし、煉獄もまた、殴りかかってきたやつの腹に胴打ちをたたき込んだところだった。倒れ込んだ敵を一顧だにせず、二人とも息つく間もなく襲ってくる次の敵に対峙している。
 実弥も次の相手の顎先にアッパーを決めながら、少しばかり感嘆した。なるほど、こいつらは口先だけの馬鹿ではないらしい。
 竹刀を振るう煉獄の姿は、こんな場であるにもかかわらず、実弥の胸に郷愁を呼び起こす。殺陣は多勢に無勢のほうが、見せ甲斐があるもんだ。芝居ではないのに、なんとなくそんなことを思う。
 小手から面へ、返す刀で次の相手の胴へ。流れるような煉獄の剣さばきは苛烈で、まるで襲い掛かる猛火のようだ。

「加勢はいらねぇなァッ?」
 自分に向かってくる敵のみぞおちにフックをたたき込み、振り返りざまに冨岡に言えば、横目で実弥を見た冨岡が小さくうなずいた。華奢な体躯がふわりと沈み、つぎの瞬間には飛び込むようにして敵の胴を打ち据えて、止まることなく手首を返し次の相手の腕をしたたかに打ち払う。無駄な動きは一切ない。一撃で決めるところは、実弥と同様だ。

 しかし、しょせんは有象無象の輩だ。真菰につかみかかろうとした男が、逃げるどころか同時に姿勢を低く踏み込んだ錆兎と真菰に脛を激しく打ち据えられ、悲鳴を上げて倒れ込んだのが見えた。しかも、とどめとばかりに錆兎の蹴りが股間に炸裂しては、たまったもんじゃないだろう。目にしただけの煉獄すら、思わず首をすくめたぐらいだ。
 あれは、痛い。つい気の毒に思ってしまうほどには、見ているだけでも、かなり痛い。
 おまけに、うずくまった背を次の攻撃の踏み台代わりに二人して踏みつけられては、文字通り踏んだり蹴ったりもいいところだろう。倒した敵を利用して飛び上がり、背の低さと腕力不足をカバーして同時に面を打ち込む錆兎と真菰に対しては、感心するよりほかないけれども。

抜粋箇所がアレなんで伝わりにくいかもですが。
えー、上の二つは実弥視点、最後のは煉獄さん視点からの抜粋です。文章全体的に見ると、ワクドキは視覚的な動きの描写もしてるけど、心情描写のほうが多いです。でもって、文字数的にも圧倒的にワクドキのほうが多い。なにせバトルシーンは実弥視点と煉獄さん視点の二章にわたってますからね。なのに、自分で言うのもなんだけど、臨場感は感じられる……気がする。
うーん……アレかな、感情移入できるかどうかが肝? あ、そういや、ワクドキは登場人物が多いぶん会話もちょこちょこ挟んでますね。これもテンポの良さに繋がってるのかな?

あぁ、水天のほうは文末の重複も気になりますね。
んーと、文末は基本「あ段」「い段」「う段」になりますが、同じ音節で終わるのは多くとも5までぐらいになるようにしています。「~た」「~だ」がつづくと、リズム感よくなくてテンポが崩れるし、なんだか作文みたいになっちゃうので。
ただ、世に言う文豪の作品でもそれが味になってたり違和感がないものもありますし、そこは臨機応変にとも思うんですけどね。
とはいえ、それは上手い人の話。グイグイ話に引き込まれて、些末なことで没入感を削がれなければ、ですから。下手は下手なりに読みやすい文章を目指すなら、それなりに気を使わねばと、注意して書いてるつもりなんですけどね。バトルシーンはなんだか文末の重複が増えてるような気がするんですよ。動作の描写に意識が向きすぎるせいですかね?💦

でもって、これはバトルシーンに限りませんが、一文の長さも気になりますね。短い文章と長い文章のバランスが、ワクドキのほうがとれてる気がする……けど、自分じゃよくわからん💦
一文に入れ込む情報はあまり多くないほうがいい。チャンクが多くなればなるほど読み手が理解しづらい文章になる。それはわかっているんですけど、書いている最中はつい情報を一文に詰め込んじゃう。気をつけなきゃと思ってるのに、なかなか治らない悪癖の一つです💦

こういうのをきちんと把握できるか否か、気づいたときに適宜修正できるかどうかってのは、センスの差なんですかねぇ。自分の文章力の稚拙さやセンスのなさを思い知らされますね(´Д⊂グスン

原作がバトル漫画なんだから、ノベライズで勉強すればいいのかなぁ。スピンオフのほうは読んでるけど、ノベライズ版は買ってないんですよ💦
ほんとむずかしいんですけど、バトルシーンやアクションシーンはあったほうが、書いてる自分が楽しい。今後、煉義でもアクションシーンは出す予定だし(にゃんことワンコはそれが一番の山場だし、『大好きの』にも文化祭で煉義二人してメイド姿で戦うシーン入れたいんだよなぁ)、義炭でももちろんまだまだバトルシーン書きたいし、もっとうまくなりたいです。戦うみんなを書きたいぞっと!
もちろんイチャイチャもねw