「なんだ、こりゃ」
キッチンに入ってきたゾロの第一声は、そんな言葉で。予想と反したその声に、昼食を食いっぱぐれた寝ぼすけ剣士を振り返り見れば、しげしげと見回していたのはガキンチョどものオモチャ。
先刻までそいつで遊んでた奴らは、記録に挑戦だと盛り上がり、甲板で笑い声を響かせている。キッチンに来るまでに、その光景は目に入っているだろうに。
「ウソップが作ったんだよ。離れてても声が聞こえんだと。電電虫のオモチャみてぇなもんだ」
「へぇ、便利だな」
「アホ。オモチャだっつってんだろ? そのコップに付いてる糸が届く距離しか使えねぇんだよ。糸が弛んでも聞こえねぇし、大声出すほうが早ぇってシロモンだ」
しかたない風を装って、食いはぐれた昼飯を出してやりながら言ったら、珍しく突っかかってくることもなく、残念そうな顔しやがった。
傍目にゃいつもの仏頂面だが、わかんだよ。目がさ、ちょっと淋しげになってんだ。
「試してみるか?」
「あ? 別にいい。オモチャだろ?」
素直じゃないねぇ。けど、不機嫌そうな声が、すこーし期待に弾んでるぜ?
「だから遊ぶんだろ? 俺もちょっとやってみたかったんだ。つきあえ」
糸で繋がれたコップの片方を手に、さっさとキッチンを出る。
こいつは素直じゃねぇからな。こんな風に強引に、こっちの都合なんだと思わせてやるにかぎる。
仏頂面のまま嬉しそうな目すんなよ。器用なんだか、不器用なんだか。
「おい、飯は……」
「食いながらでもいいぜ。特別に許可してやる」
さっさとしねぇと、お子様組やレディ達のおやつの時間になっちまう。
子どもみてぇにオモチャで遊んでるとこ見られたくなくて、ためらってんだろ? お見通しだっての。
「あいつらに見られたらクソ恥ずかしいだろ。早くしろって」
遊びたがってるのは、俺のほう。我儘なのは、俺。
それならいいだろ?
しぶしぶって態度でゾロが席に着くのを見計らい、コップを口に当てた。
ピンと張った糸の先で、コップを耳に当てたまま飯を頬張りだしたゾロの姿に、思わず込み上げた笑いを堪える。ちらちら横目でこっちを窺ってる様が、まるで悪戯が成功するか気にしてそわそわしてるガキみてぇ。
可愛くって笑っちまうだろ、畜生め。
「もしもーし、聞こえっかぁ?」
糸が弛まないよう気をつけながら、直接聞こえない程度の声で言ってやれば、ちょっと目をしばたたかせてうなずいた。
なんだかなぁ。
こくんって音がしそうな、幼い仕草しやがって。可愛くて困んだよ、天然め。
「今の、ちゃんとここから聞こえたんだよな?」
「こら。話す時はこれ使えよ。意味ねぇだろ?」
笑いながら言ってやれば、また目をぱちくりさせて、少しはにかんだように笑いやがった。
……だから。
そういう顔すんなっての。可愛いから。
俺がどぎまぎしてることになんか気づきもせずに、ゾロが楽しそうにコップを口に当てる。慌てて耳につけた紙コップから聞こえてきたのは、少し不明瞭なゾロの声。
「……もしもし。聞こえた。てめぇは聞こえてっか?」
「……ああ。聞こえた。ウソップも面白いもん作るよな」
甲板に響く、仲間たちの大きな笑い声。一番近くて遠いのは、耳元で聞こえるゾロの声。
交互にコップを耳につけたり口に当てたり。端から見りゃ、馬鹿馬鹿しいことしてるよな。19にもなってよ。
こんなガキの遊びしながら、切なくて、苦しくて、泣きたくなっちまってるなんてよ。
話してる内容なんて他愛ない。まったくくだらねぇことばかり。
だけど、いつもみたいな喧嘩腰には、不思議とお互いならなくて。ますます胸が痛くなる。
俺らのあいだにある糸の長さが、俺らにとって一番いい距離なのかもしれねぇな。こんなに近くで声は聞こえても、触れることはできない距離が。穏やかに、素直でいられる、限界値。
届けたくて、届けちゃいけない言葉は、もっと近くにいられなきゃ意味を持たない。
届ける気なんて、ねぇけど。
だってお前、困るだろ? 笑ってくれなくなったら、俺も困る。
クソ苦しくて、悲しくて、涙なんて零しちまってさ。
そしたらお前は、きっと、もっと、困るんだ。
だから、な。言わねぇよ。お前に聞こえるようになんて、絶対に言わねぇから。
今だけ。一度だけ。声に出して言ってもいいだろ?
ゾロに気づかれないように、そっと一歩だけ前に踏み出して。
俺らを繋いでるこの糸が、想いまで伝えちまわないように。
弛んだ糸の先にいるお前に、泣き出しそうな目を気づかれないよう、くだらない話のふりして笑って。
「もしもし……」
小さな声で。
「……お前が、好きだよ……」
終