元日のテレビ番組は、炭治郎にとってはさして興味のないものばかりだ。もともとテレビを観る習慣はほとんどなくて、茂や六太につきあってアニメを一緒に観るくらいなものだから、タレントにだって詳しくない。
義勇の部屋にいるときはなおさらで、義勇も観るのはニュースぐらいだから、部屋に聞こえる音といえばたいがいは、炭治郎のおしゃべりとたまに返される義勇の相槌ばかり。
だから、これは相当にめずらしい。
「海鮮丼のハチミツ仕立て。て、だぞ」
「うぇぇ、まずそうっ。んー、て、て、手作りチョコレート入り野菜炒め!」
「おい……てが出ると手作りでごまかすのやめろ。ズルいだろ」
「だってしょうがないじゃないですか! 手がつく料理なんて、天ぷらぐらいしか浮かばないんですからっ。それより義勇さん、めですよ。め」
むぅっと眉根を寄せて考え込む義勇に、ちょっぴり苦笑しつつ、炭治郎はテレビ画面に視線を向ける。
美味しそうな料理が紹介されているのを見ながら、こたつに差し向かい。まったりとしてるといえば聞こえもいいけれども、やってることは不味そうな料理しりとりだ。元日早々なにやってんだか。
くだらなすぎて我ながら首をひねらずにいられないけど、それなりに楽しい。大部分は、義勇とだから、だけれども。
ことの始まりはと言えば、テレビに映る料理を見ながら、美味しそうだの食べてみたいだのと、なんの気なしに交わしていた会話に、義勇がふと疑問を挟んだからだった。
「うまいものよりも、マズイもののほうが、試しに一口って気にならないか?」
「えぇーっ、そうですか?」
でも、言われてみれば会話が盛り上がりまくるのは、いかに美味しかったかよりも、どれだけマズかったかのほうかもしれない。
それがどうして、ありそうだけれど絶対にマズイと思う料理しりとりになったのは、謎でしかないけど。たぶん、暇だったからだろう。
「め……メザシのメープルシロップ漬け」
「……聞いただけで胃もたれしそうですね」
うえっと顔をしかめて舌を出した炭治郎に、義勇もやけに重々しくうなずいた。
せっかく一緒に過ごせる正月に、こんな暇つぶしに興じなくてはならなくなったのは、残念至極だけれども、天候ばかりはどうしようもない。窓ガラスにこびりつくほど吹きつける雪のなかに、出ていく勇気は二人ともないのだ。
昨夜、炭治郎が部屋に着いたころから降り出した雪は、窓の外を白くに塗り替えている。というか、すでに窓自体が白い。もはや吹雪だ。
本当なら、一緒に初詣に行って、甘酒なんか飲んで。今年一年の互いの健康と、家内安全、それからこっそりと今年こそは一緒に住めますように、なんて願い事をするつもりだった。だというのに、この雪だ。元日早々、先が思いやられる。
「け、だぞ。なければおまえの負けだ」
「えっ、待って待って! えっと、け? けっ!?」
けのつく料理……けんちん汁? マズそうなけんちん汁ってどんなんだ?
「3、2、1」
「カウントダウン!? 時間制限ありましたかっ!?」
「こんなくだらないしりとりで、長考するな。0」
非情に告げる義勇に、思わず恨みがましい視線を向ける。馬鹿らしいけどそれなりに楽しかったのに。
前日まで仕事に追われていた義勇は、日付が変わるときになってもパソコンに向かっていたから、かまってもらえなかった。おまけに約束していた初詣もお流れだ。くだらないしりとりだろうと、義勇と盛り上がれるならうれしかったのに。
むぅっと唇を尖らせたら、不意に影が差した。身を乗り出してきた義勇の顔が近づく。
小さく突き出した炭治郎の唇に、ちょんと触れて離れていく、義勇の唇。早業すぎて、驚く暇もありゃしない。
「……え? えっと、あの」
「まだ、しりとりしたいか?」
少し笑んだ声に、ブンブンと首を振る。クツクツと笑い出すから、炭治郎の頬が朱に染まった。
「鳩が豆鉄砲を食った顔のお手本みたいだな」
「そんなに笑わなくたって」
恥ずかしがればいいのか、怒ればいいのか。それともむしろ喜んでしまおうか。選びきれずにモジモジとうつむきながら、やっぱり炭治郎は唇をまた尖らせる。
「おまえが唇を尖らせてもかわいいだけだから、怒るな」
「は? ……義勇さん、熱あるんじゃないですかっ!?」
あわてて額へと伸ばした手は避けられて、今度は義勇がムッと眉をひそめる。
「なんでそうなる」
「だって、義勇さんがそんなこと言うなんて、熱でもあるとしか思いませんよ」
一応は恋人なんだろうけれども。義勇は甘い睦言なんてめったに言ってくれやしない。
しかも、高校を卒業して生徒でなくなってから一年が経とうとしているのに、恋の進展はキスまでだ。二十歳になるまではとお預けを食らってる炭治郎が抱える不安になど、きっと義勇は気づいちゃいないだろう。
「いつもかわいいと思ってるぞ。口にしたら我慢できなくなるから言わないだけだ」
「我慢……」
「二十歳になるまではと言ったろ?」
こともなげに言うから、炭治郎の唇がますます尖る。
「今年の夏にはおまえもようやく二十歳になるからな。初詣の後で葵枝さんにご挨拶に行くつもりだったんだが……」
「挨拶ですか?」
「息子さんをくださいと言わなきゃならないだろ?」
ポカンとした炭治郎の頬が、じわじわと赤く染まっていくのを見つめる義勇の顔は、いつもの無愛想な仏頂面だ。だけど、耳がほんのりと赤い。
「なんで……」
「ただでさえ男同士だからな。本気だと証明する手立ては、これぐらいしか浮かばなかった。おまえが自分の責任ですべて選び取れるまでは、手は出さない」
そっけない声は、それでも真面目なひびきがしている。
無言で立ち上がった炭治郎を、義勇はちらりと見たけれど、止めようとはしてこない。だから迷わず炭治郎は義勇にギュッと抱きついた。
「……誕生日になったら?」
「そのときは……まぁ、覚悟しておけ。お預けが長いからな。自分でも歯止めが効くかわからん」
だから今は煽ってくれるなと、ポンポンと頭を撫でてくれる手がやさしい。
「でも、なんで今日にかぎって言う気になったんですか?」
何度聞いても理由を話してくれなかったくせに。ぐりぐりと肩に額をこすりつけながら聞けば、答えは小さなため息まじり。
「……うまかろうとマズかろうと、おまえとならなんでも一緒に食えたらそれだけで、楽しいだろうなと思ったら、つい」
予定が狂ったのも敗因の一つだなと、悔しそうに言うから、腹の底から笑みがこみ上げる。
「おい、笑うな」
「無理ですよ」
フゥッともう一つため息。笑みが抑えられない顔をそっと上げたら、義勇の顔も笑っていた。
「もう一つ……どんな料理より、おまえの口のほうが甘いだろうなと思ったら、味見したくなった」
ボンッと赤くなった炭治郎の顔をちょんと指でつついた義勇に、あぁ、それで甘そうなものばかり言ってたのかと、ちらりと思ってちょっぴり呆れる。
頭のなかは、すぐに甘いって言葉でいっぱいになったけど。
重なった唇の甘さは、たぶん、世界で一番。初詣で振る舞われる甘酒なんかより、ずっと甘い。
もっと甘いだろうその先を知るのは、夏になったら。誕生日がきたら越してきていいですかと、とろりと蕩けた顔で笑う炭治郎に、うなずく義勇が浮かべたのはすまし顔だ。
でも、やっぱり耳は赤いから。
お預けされてるのは、さて、どちらやら。