本日はお日柄も良く、絶好のお葬式日和で

 禰豆子視点

「おいっ、こっち酒足りねぇぞ! 酒樽ちゃんと数えたのかっ?」
「おーいっ、ここ鮭大根出てないぞ村田ぁ!」
「あーもうっ、せかすなよ! こんな大量に作ったことないんだから!」
「その花そっちじゃないって! こっち!」
「なぁ、写真の位置曲がってねぇ? もうちょっと右側下げろよ」
「いや、これ、花でそもそも見えないんじゃねぇか? やっぱりさぁ、肖像画のほうがよかったんじゃないかなぁ」

 わいわいがやがやとにぎやかな声が響く。何度となく訪れた水屋敷だが、この屋敷にこんなにも大勢の人が集うのを見るのは初めてだ。
 広大な敷地を誇るお館様のお屋敷ほどではないにせよ、山育ちの禰豆子からすれば、水屋敷だって呆気にとられるほど堂々たるお屋敷だ。だというのに、これほどまでに多くの人が動きまわっていると、なんだかやけに狭く感じてしまう。
 縁側に腰かけた禰豆子は、せわしなく動きまわる人たちをながめていた視線を、かたわらに座る兄に向けた。
「本当に手伝わなくていいのかなぁ」
「うーん、支度は任せておまえら遺族は上げ膳据え膳されてろって、くぎを刺されちゃったからなぁ」
 苦笑する炭治郎の顔に憂いはない。遺族という一言は、あまりにも自然で、禰豆子も小さく微笑んだ。ちらりと視線を落とせば、腕のなかですやすやと眠る赤ん坊の顔がある。
「この子たちがいるから助かるといえば助かるけど、なんにもしないのもかえって気疲れしちゃいそう」
 善逸さんは働かされてるのにと、禰豆子は肩をすくめた。
 先程まで一緒に赤ん坊をあやしてくれていた鱗滝も、子らが眠ったのを機に、祭壇の設営を手伝いに行ってしまった。炭治郎と自分だけがこんなふうにのほほんとしていて、本当にいいんだろうか。
 そんな禰豆子に炭治郎もちょっとだけ困ったように笑ったけれど、今日はおとなしく皆の好意にまかせるつもりのようだ。
「俺もちょっと落ち着かないや。でも、全部やらせてほしいって気持ちもわかるからなぁ。今日はお言葉に甘えよう。それにしても、この子らはこんなにうるさいのによく眠ってるな。将来大物になりそうだ!」
 こちらも腕に抱いている赤ん坊の寝顔をのぞきこみ言う炭治郎は、本当にうれしそうだ。
「勇治郎も炭義すみよしも、そろそろ起きると思うけど……泣かないでいてくれるかなぁ」
「ややが泣くのは当たり前! きっと誰も気にしないよ」
 それに、と続けた炭治郎は、義勇さんは二人が大きな声で泣くほうが喜ぶかもと笑った。
「抱っこしてるときに泣き出すとオロオロしてたけど、そうじゃないときはうれしそうだったもんね」
 思い出した在りし日の面影に、ふふっと禰豆子も笑う。こんな日に思い出すのが、情けなく眉を下げた困り顔だなんて申し訳ないような気もするが、あの人はけして怒りはしないだろう。
「この子らが大きな声で泣いてるのを聞くと、生きるぞ! って全身で主張してるみたいでうれしいって、義勇さん言ってたから。俺もそう思うよ」
 あまり泣かれても禰豆子と善逸は大変だろうけど。ちょっとだけ困ったように笑う炭治郎に首を振って答え、禰豆子はなんとはなし空を見上げた。
 広い庭を囲む生垣に張り巡らされたクジラ幕が、風にはためいている。裏手に広がる千年竹林の葉も風にゆれ、さわさわと静かにひびいていた。せわしなく立ち働く人たちのなかで、のんびりと縁側で日向ぼっこ。そんなちぐはぐな昼下がりに、炭治郎の恋しい人の葬儀は行われる。

「いい天気になってよかったね」
「うん、絶好のお葬式日和だ」

 兄妹並んで見上げた秋の空は、底抜けに青く、彼の人の瞳のように澄んでいた。
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 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 冨岡義勇死去の報が禰豆子と善逸のもとに届いたのは、十月半ばのこと。義勇がくれたでんでん太鼓で、双子をあやしてやっていたときだった。

 赤ん坊が生まれる少し前から、義勇の手土産は子供の玩具ばかりになった。流行はやりのセルロイド人形だのガラガラならまだしも、ゴムボールやらメンコ、飛行機玩具などは、赤ん坊には早すぎるだろう。それなのに、義勇は律儀に毎回子供の玩具を持参する。しかも必ず二人分だ。もうたくさんいただきましたからお土産なんて気にしないでいいんですよと、そのたび禰豆子は言うのだが、義勇はなかなか聞き入れてはくれない。
 二人で街を歩いていると、義勇さんはすぐに双子への玩具を買い込んでしまうんだ。そうぼやいて炭治郎は苦笑していたが、炭治郎にも止めるつもりがあるのだか疑わしいものだ。禰豆子と善逸が手にしていたでんでん太鼓も、義勇と炭治郎からの土産である。前日に外食に行ったおり、ちょっと見るだけと入った玩具屋で、小一時間も二人して吟味して買ったものらしい。
 禰豆子同様、質素倹約が身についた兄である。義勇の散財にもっと小言を言ってもいいようなものだが、甥っ子たちのこととなると日頃の節約もどこへやら、義勇のことをどうこう言えぬ程度には歯止めがかからなくなるようだ。
 炭治郎の鴉が飛び込んできたときにも、そんなあれこれをちょうど善逸と話していた。
 いつもは生意気なほどに口やかましい鴉が、常にはない静かな声で伝えてくれた訃報は、すぐには理解できなかった。だって、このでんでん太鼓をいつもの無表情で土産だと義勇がくれたのは、つい昨日のことなのだ。
 今朝がた義勇が亡くなった? なんのことだ? 言葉の意味がよくわからない。こんな穏やかな昼下がりに聞かされるには、あまりにも唐突すぎるその言を、禰豆子はうまく飲み込めなかった。
 いったいこの子はなにを言っているんだろう。ぽかんとして言葉もない禰豆子と善逸に、いつものように偉そうな文句を言うでもなく、鴉はお館様のもとへもお知らせに行くと口早に言い残し、飛び立った。
 先に我に返った善逸にせかされ、子を抱きかかえ二人で駆けつけた水屋敷で、炭治郎はしとねに横たわる義勇のかたわらに座ったまま、静かに微笑んでいた。

 突然だったよ。

 言った声もとても静かで、あぁ兄と義勇は、この日を覚悟したうえでともにいたのだものなと、禰豆子は静かに泣いた。享年二十四。刻々とその日が迫ることに禰豆子は内心ずっとおびえていたが、兄たちはいつ逢っても必ず笑顔を見せてくれた。
 早朝に倒れ込んで立ち上がれなくなった義勇は、それでも笑ったという。それじゃまたと笑ってくれて、それきりだったよと炭治郎は微笑む。
「約束してたんだ。最期の時には笑ってそれじゃあまたって言おうって。義勇さん、約束守ってくれたよ」
 そう言った顔は晴れやかですらあった。
 それでも兄は泣いたのだろう。義勇にそれじゃまたと笑い返し、その後できっと泣いた。身を引き絞られんばかりに。鴉を送り出すまでずっと、身も世もなく一人慟哭をあげ続けたのだろう。禰豆子たちに向かって笑う目に涙はなかったが、泣いた跡がありありとわかる顔と、枯れた声をしていた。
 泣きじゃくる善逸をなぐさめすらして、炭治郎は笑っていた。それから今まで、炭治郎はずっと笑っている。静かに、空元気でもなく幸せそうに、ずっと微笑んでいる。

 鴉から訃報を聞いた産屋敷家から、遣いがくるまでさほど時間はかからなかった。慌ててとんできた後藤に、お悔やみを言われたときにも、炭治郎の顔から笑みは消えなかった。葬儀の子細をたずねられ、にぎやかに送り出してあげたいと、うれしそうに笑っていた。

「一人でいることが多かったけど、義勇さん本当は人が楽しそうにしてるのが好きなんです。みんながにぎやかに笑ってくれてるほうが喜ぶはずだから」

 ニコニコと言った炭治郎も、さすがにこれほどまで人が集まるとは思ってもみなかったのだろう。続々とやってくる元鬼殺隊の面々には、見慣れた顔も見知らぬ顔も入り混じっている。交流下手な義勇の死を、ともに悼みたいという者がこれほどまでに多いことに、炭治郎は喜びつつも少々面食らったようだ。
 鬼殺隊が解散してからもう四年になろうかとしている。それぞれ新たな人生を歩んでいる鬼殺隊の面々が万障繰り合わせやってきたのは、通達を引き受けてくれた産屋敷家への義理などではないと、その顔を見れば容易に知れた。
 誰も彼も心から義勇の死を悼み、悲しんでいることは明白であった。同期だった村田などは、泣くのをこらえるあまりかなり変な顔をしていて、周囲の泣き笑いを誘っていたものだ。
 今年は例年になく残暑が厳しい。遺骸をそのままにはしておけず、埋葬だけは先に済ませたから、義勇本人はもう水屋敷にはいない。花であふれた祭壇に棺はなく、義勇はほかの鬼殺隊士たちと同じ墓所に眠っている。
 棺の代わりだろうか、祭壇には鬼殺隊が解散したおりにみんなで撮った写真が飾られていた。その小さな写真のなかの義勇は、穏やかにやさしく笑っていた。

 葬儀というよりも、もはや宴会の様相を呈してきたのは、率先して差配した宇髄ゆえだろう。地味に辛気臭い顔してんじゃねぇぞと、三人の嫁ともどもテキパキと指示を飛ばす様子は、なんだか楽しそうなほどだった。
 悲しみはあるだろう。忸怩たる思いもあっただろう。それでも、泣いて歳若な元同僚の死を悼むより、炭治郎の願いを優先してくれたのだということは、禰豆子にもわかった。
 産屋敷家からの通達を受け取ってすぐに、飛び出してきてくれたに違いない。息を切らせて駆けつけた宇髄は、お悔やみの言葉もそこそこに炭治郎の笑みをじっと見据えると、全部俺様にまかせとけとニヤリと笑った。
 そうして今、水屋敷はかつてないほどのにぎやかさに満ちている。雲一つない秋晴れの空の下、いっちょ派手に送り出してやろうじゃねぇかと笑う声が快活にひびいた。

 いいようにこき使われて泣き言三昧な善逸や、手伝いよりも盗み食いに精を出す伊之助に苦笑しているうちに、不死川に伴われた輝利哉たちもやってきて、葬儀という名の宴会の準備はどうにか整ったらしい。
 始めるぞとの宇髄の声に、喪主挨拶しろ、乾杯の音頭取れと、あちらこちらから声が上がる。疲れきった顔でよろよろとやってきた善逸に、腕のなかの赤子を起こさぬように預けると、炭治郎は立ち上がりみんなの前に進み出た。

「えーっと、本日はお日柄も良く絶好のお葬式日和で」
「葬式なのにお日柄良くていいのかよ……」

 ちょっとあきれたように言う善逸の声は、宇髄や伊之助の「堅苦しい挨拶はいらねーっ!」とのヤジにかき消され、炭治郎は苦笑しながら手にした盃を高くかかげた。
「義勇さんの旅路の無事を祈って! 乾杯!」
 乾杯との大合唱とともにかかげられる盃。禰豆子もかたわらの善逸と、かちりと盃をあわせ乾杯と小さく微笑んだ。
「こんな葬式、鬼殺隊じゃなきゃ絶対に無理だよなぁ」
「常識外れもいいとこだよね」
 クスクス笑いながら言えば、善逸も眉を下げつつも笑う。それでも、みんなに囲まれ顔をほころばせている炭治郎を見やる視線は、少し気遣わしげだ。
「炭治郎、無理してないかな」
「大丈夫よ。お兄ちゃん、本当に笑ってる。きっと義勇さんも喜んでると思う」
「そっか……うん、そうだよね。冨岡さんが安心して逝けるのが一番だもんね」
 ようやく穏やかに微笑んだ善逸を見つめ、うん、と禰豆子もうなずいた。
 本当にやさしい人だと思う。欠点はいっぱいあるけれど、このやさしい人が兄の友達で良かったと、禰豆子は笑った。
 笑っているのは、禰豆子たちだけではない。酒を酌み交わし、義勇の思い出を語る人々の顔は、みな笑顔だ。ただの付き添いだという顔をくずさぬ不死川だけが、一人静かに盃をかたむけているが、不機嫌さは感じられない。
 戦いが終わっても義勇と不死川はことさら仲良く交流していたわけではないが、思うところはほかの隊士たちよりも深いのかもしれない。もう一月もすれば、不死川は二十五になる。
 禰豆子だけでなく誰もがそれを知っている。けれど誰もそれを口にはしない。ときおり輝利哉や妹たちに話しかけられ、言葉を返す不死川の顔は、至極穏やかだった。

 葬儀が始まって間もなく、腹を空かせて起きた双子の泣き声が屋敷に響いても、誰も顔をしかめはしなかった。それどころか誰もが相好を崩し、元気な声だとうれしげに笑ってくれる。
 丈夫に育てよ。いっぱい母ちゃんのお乳もらって大きくなれよ。あちらこちらで上がる声はどこまでもやさしく明るいひびきをしていた。小さな命が懸命に生きている証を、不快に思うような者は誰一人としていない。
 あぁ、あの人もあんなふうに笑っていたなと、赤子に乳を含ませながら、禰豆子はひっそりと思う。
 生まれたばかりの子を抱いてもらったときのぎこちない手付きと、見たこともない緊張しきった顔を、今でもはっきりと覚えている。そして、その後の泣き笑いの顔も。
 善逸と二人でつけた双子の名を告げたときも、義勇と炭治郎はそろっておおいに泣いた。それはもう、禰豆子と善逸のほうが困惑してしまうぐらいに。二人の名をもらうことに、夫婦ともになんのためらいもなかったが、あれほどまでに泣かれるとは思わなかった。
 勇治郎に乳を飲ませながら、くすりと思い出し笑いをもらした禰豆子に、先に乳をもらった炭義をあやしている善逸が「どうしたの?」と問うてくる。最初は義勇と似たり寄ったりだった赤ん坊を抱く手付きも、もう堂にいったものだ。お父さんの顔をした善逸に、禰豆子はますます目を細めた。
「勇治郎も炭義も、きっと元気で丈夫ないい子になるだろうなぁって思って」
「絶対になるよ! だってこんなに力いっぱい生きてるぞーって泣けるんだからさぁ。……炭治郎と冨岡さんの名前に恥じない、いい子になるよ」
 顔を見あわせ微笑みあったそのとき、葬儀会場となった庭からひときわ大きな声が響いてきた。
 明らかに号泣するその声に、眠りかけていた炭義が泣きだす。片割れが泣けば、乳を飲み終えた勇治郎までつられて泣きだしてしまい、どうにも手がつけられない。
 二人をあやしつつ慌てて庭に戻れば、あちらこちらで泣き声が上がっている。きっと酒がまわって感情を抑えきれなくなったのだろう。一人が泣き出したとたん、伝播するように号泣が広がったのは、想像にかたくない。
 禰豆子と善逸の目にも涙がじわりと浮かんだが、轟き渡った一喝に、その涙は零れ落ちるのをこらえられた。

「ギャーギャー泣いてんじゃねェ! あの野郎が……柱が、んなもん喜ぶと思ってんのかァ! 泣く顔なんざ見飽きるほど見てんだァ! 笑っとけ!」

「不死川さん……」
 炭治郎の感極まった声に、チッと舌打ちする不死川の顔には笑みはない。代わりにとでもいうように、輝利哉たちが静かに頬をゆるめていた。泣き出しそうに瞳を潤ませながらも、鬼殺隊の父の顔で、輝利哉は笑っている。
「うん。実弥の言うとおりだよ。みんな、義勇を笑って送り出してやっておくれ」
「おら! お館様が仰ってんだ、派手に笑えやお前ら!」
 宇髄の声にぐっと息を詰まらせた面々のなかから、聞こえてきた大きな声は誰のものだったろう。禰豆子の知らない誰かかもしれない。
「水柱様ぁ! あなたが駆けつけてくださったおかげで、俺、今も生きてます! ありがとうございましたぁ!!」
 その声は、青く広がる空に吸い込まれるようにひびきわたり、やがて口々に大きな声が天に向かってあげられた。

 水柱様に助けていただいた妹が、先月嫁にいきました。弟の敵を討ってくれて、ありがとうございました。柱稽古きつかったです。鴉追いかけてるの見かけて笑っちゃいました、ごめんなさい!  あのとき助けていただいた母が先日亡くなりました、大往生でした。俺の同期に、今日子どもが生まれます。あいつからの伝言です、冨岡様に助けていただかなければ嫁に出逢うこともなく死んでた、今ある俺の幸せは全部あなたのおかげですって、あいつ笑ってました! 俺があいつと仲良くなれたのも、あなたがあいつを助けてくれたからです。ありがとうございましたぁ!

「冨岡ぁ! てめぇこの野郎! 結局俺の鮭大根絶賛する前に死んじまいやがって、馬鹿野郎! 見てろよ、絶対におまえが食えなくて悔しがるような鮭大根作れるようになってやるからな!」
「手合わせ全部断りやがって、勝ち逃げなんかズリィぞ半半羽織!!」
「そちらではしのぶ姉さんをあんまり困らせないでください!」
「そうですよ! しのぶ様、いつもあなたの問診のあと疲労困憊してらしたんですからね!」
「あんまりお話できませんでしたが、いつも兄上が冨岡さんの剣技を褒めてらっしゃいました! あちらで兄上に逢ったら、ぜひ手合わせして差し上げてください!」
「父上と母上たちに逢ったら、笑ってあげておくれ! 僕たちだけが義勇の笑顔を知ってるなんて、父上に申し訳ないからね!」
「あとのことは派手にまかせとけや! 炭治郎に悪い虫がつかねぇよう見張っといてやるからよ!」
「オイ、ジイサン! 義勇ヲチャント道案内シロヨ! 二人シテ迷子ニナルンジャネェゾ!」
「錆兎に逢ったら、山ほど自慢してやるがいい。きっと錆兎も喜ぶだろう」

 抜けるような青空に、大きな声がいくつも吸い込まれていく。こらえきれずに鼻をすする音や、嗚咽をこらえる声が漏れ聞こえるが、それでもみんな笑っていた。
 だから禰豆子も、泣く勇治郎をぐっと天に向かって抱え上げ、笑いながら大きな声で言った。とうとう零れた涙はそのまま頬を伝い落ちたが、これぐらいは許してほしい。

「あのとき義勇さんが私を見逃してくれたから、この子たちが生まれました! 私とお兄ちゃんを信じてくれてありがとう……お義兄さん!」

 元気な赤子の泣き声よ、天に届けと、禰豆子は願う。隣で同じように炭義を抱えた善逸も、少しだけ泣き出しそうな顔で声を張り上げた。
「あんたら柱の音って怖いんだよ! なに考えてるかわかんなくてさぁ! けど、冨岡さんの音はすっげぇ静かなのにやさしかった! 静かすぎて俺でさえ聞き取りにくいぐらいだったけどっ、でもっ、炭治郎と同じくらいやさしかったよ! 禰豆子ちゃんを生かしてくれてありがとう! 俺に、家族をくれてありがとうございました、お義兄さん!」
 泣き笑いの顔を見あわせれば強くうなずいてくれる人がいる。あの冬の日に義勇の決断がもたらしてくれた出逢いと命が、ここにある。
 そして。
 みんなの声を、瞳を潤ませながらも笑いながら聞いていた炭治郎が、ぐっと天を見上げた。

「義勇さん、聞こえてますか! 義勇さんが繋いだ命が、新しい時代を作る命が、ここにあります! これからなにが起きても、絶対に義勇さんが繋いでくれた平和な世の中を守りますから! だから、いつかまた……みんなで作り上げた平和ないつかの未来で、また逢いましょうね!」

 大きな大きな声は、あの人の瞳のような青い空に吸い込まれていく。炭治郎の笑顔のように眩しいお日様がかがやく、青い青い空へ。

 寛三郎、錆兎、真菰、義勇さんのお姉さん。煉獄さんやしのぶさんたちも、みなさん義勇さんをよろしく。みんなで笑って待っていてくださいね。また逢う日まで、みなさんが繋いでくれたこの平和を、きっと守りますから!

 笑って言う炭治郎の言葉が、そうだそうだと唱和する声たちが、鴉たちの羽ばたきが、空に向かってひびきわたる。
 不意に風が強く吹いた。
 風はみなのあいだを吹き抜ける。強いけれども、まるで慣れない手で頭を撫でられているような、そんなぎこちないやさしさで風は吹く。
 クジラ幕をはためかせ竹林をゆらせた風が、禰豆子と善逸が抱く赤子の頬をふわりと撫でて、子供らが泣きやんだ。
 かわりに鳴りひびいたのは、潮騒のような音だ。寄せては返す波に似た葉擦れの音。ここを水屋敷と定めた人は、この音に海を見たのだろうか。
 腕のなかの勇治郎が、きょとりとした顔で炭治郎を見つめていた。炭義も同様で、まだ涙の残るあどけない目で、じっと炭治郎を見ている。いや、もしかしたら。
「……いるね、きっと」
「うん……きっと」
 風に髪をゆらせて幸せそうに微笑んでいる炭治郎を、禰豆子も善逸も見やった。
 義勇と寄り添いあっているときと同じ顔で、炭治郎は笑っている。きっとこれからも、笑って炭治郎は過ごすのだろう。義勇は、炭治郎の笑顔をことさら好いているようだったから、悲しい寂しいと泣くよりも、笑うことを炭治郎は選んだのだ。自分の命の終わりまで、きっと炭治郎は笑っている。

 ただ一人、なにも言わず空を見上げていた不死川の口元が、小さく動いた。声は聞き取れず、なにを言ったのかはわからない。口にした言葉は不死川なりの餞はなむけなのか、それとも常の憎まれ口なのか。それはわからないままでいいと思う。隣で輝利哉が小さく笑っているのが答えなのだろう。
 あー、と声を上げ、赤子たちが天に向かって小さな手を伸ばした。
「うん……さよならじゃなくて、またねって笑おうね、勇治郎、炭義。またね、義勇おじちゃんって笑おうね」
 キャッキャと楽しげに笑いだした子供らの声は、明るい未来を感じさせた。
「こいつらに義勇おじちゃんって呼ばれたときのお義兄さんの顔、見てみたかったなぁ」
 腕のなかの炭義の笑顔に温かな眼差しを落としつつ言う善逸に、禰豆子はクスリと笑った。
「お義兄さん、また泣いちゃうかも」
「目に浮かぶっ。ぐぅって唇噛みしめて男泣きすんだよ、きっと! 意外と泣き虫だったから!」
「そうそう。それでお兄ちゃんが笑いながら、よしよしって頭撫でてあげるの。うちと同じだよ。善逸さんも、この子たちに初めてお父さんって呼ばれたら、泣くでしょ?」
 喜びまくり大騒ぎして、そうしてきっと、夫は泣く。それを禰豆子は確信している。
 そんなことないよとさわぐ善逸を、はいはいとなだめて、禰豆子はまた空を見上げた。

 聞こえるのは波音。にぎやかな笑い声。空は青く青く澄み渡り、まばゆく光るお日様がみんなを照らしている。風は強くやさしく吹く。花に囲まれた写真のなかで笑うの人のように、強くてやさしい風が吹いている。

 それじゃあまた、そう笑う日が、今日で良かった。
 今日は本当にお日柄も良く、絶好の、お葬式日和。