1:炭治郎
ワクワク、そわそわ、ドキドキしながら、炭治郎は何度もお店のドアを開けて外を見た。
まだかな、まだかな。禰豆子も一緒にドアからひょこんと顔を出して、炭治郎を見上げては、まだ来ないねとしょんぼり言う。
「二人とも、そんなに何度も見たってまだ来ませんよ。時間までまだ三十分もあるのよ?」
お母さんに少し呆れ顔で笑われても、待ちきれない。だってすごく楽しみにしていたのだ。一週間も前から荷物を用意しちゃうぐらいに。
朝から背負ったままのリュックサックには、炭治郎と禰豆子の洋服や歯ブラシ。禰豆子の背中にも小さなリュックサック。真菰ちゃんと読むのと言って大好きな絵本を入れるのを、炭治郎も手伝った。
入りきらなかった洋服は紙袋に詰められて、レジの横に置いてある。炭治郎や禰豆子では持ち運ぶのが大変なので、申し訳ないけれどお迎えついでに荷物持ちもお願いすることになるだろう。
「いいなぁ、兄ちゃんと姉ちゃん、お泊りいいなぁ」
「じゅるいー、はなも行くうぅ」
しきりに羨ましがって拗ねる竹雄や、泣き出しそうな花子を見ると、炭治郎の胸は申し訳なさにきゅっと痛くなる。
まだ四歳の竹雄と三歳の花子まで一緒は、さすがに申し訳ないとお父さんとお母さんに反対されたから、二人はお留守番だ。
本当は炭治郎だって、俺はお泊りなんて行けないなと思っていたのだ。だって炭治郎がお泊りに行ってしまったら、お店が忙しいお父さんたちの代わりに竹雄たちの面倒を見る人がいなくなってしまう。
だから、錆兎と真菰からゴールデンウィークに泊まりに来ないかと電話が来たときには、禰豆子だけお誘いを受けることになると思っていた。とっても残念だけれどお兄ちゃんにお休みの日はないのだ。
お父さんたちはちゃんと、そんな炭治郎の諦めを悟ってくれたんだろう。竹雄たちはご近所の三郎お爺ちゃんがみてくれることになったから、炭治郎もお泊りに行っておいでと言ってくれた。
竹雄や花子が悲しがるから大喜びはできなかったけど、本当は飛び上がりたくなるくらいうれしかった。
だって四日も義勇と一緒にいられる。義勇におはようございますって言って、おやすみなさいも言える四日間。そのあいだはサヨナラを言わなくていいのだ。朝から夜まで、ずぅっと一緒!
うれしくてうれしくて、わぁいって大はしゃぎしちゃいたくなったけど、炭治郎はグッと我慢した。お兄ちゃんは、喜ぶより先に竹雄たちにごめんなって謝るのが先。もっと大きくなったら一緒にお泊りさせてもらおうねと、禰豆子と一緒になって二人を宥めるのはちょっぴり苦労した。けれど、ワクワクドキドキは消えなかった。
あと何日、あと何回寝たらと、何度もカレンダーを見ながら待って、とうとう今日はゴールデンウィークの最初の日。竈門ベーカリーはゴールデンウィークも休まない。だから炭治郎は、ゴールデンウィークにお出かけするのは初めてだ。
初めて鱗滝さんの家に行って。初めてよそのお家にお泊りして。初めて義勇さんと朝から晩まで一緒にいられる!
全部が初めてでワクワクが止まらない。
ワクワク、そわそわ、ドキドキ。約束の時間まであと二十分。お店に来た三郎爺ちゃんが、ぐずる竹雄と花子を連れて公園に行ったのは五分前のこと。
ワクワク、そわそわ、ドキドキ。約束の時間まであと十分。もう少し。あともう少しと思ったそのとき。
カラン! とドアベルの音がして、炭治郎と禰豆子が急いで振り向いたのと、大きな「おはようございます!」の声がしたのは同時だった。
「煉獄さん、おはようございます!」
「おはようございます!」
「おお、元気に挨拶できて二人とも感心だな!」
快活に言って炭治郎と禰豆子を撫でてくれた煉獄は、お母さんとお父さんに向かってぺこりと頭を下げた。
「今日からしばらく炭治郎くんと禰豆子くんをおあずかりします! 危ないことはさせませんのでご安心ください!」
「よろしくお願いします。このあいだは炭治郎が本当にごめんなさいね。あ、荷物になってしまうけれど、よかったらお土産にうちのパンも持って行ってね」
「なんと! よろしいんですか、それはありがたい! みなもきっと喜びます!」
やっぱり大きくて明るい声で言った煉獄に、炭治郎も大きな声で言った。
「このあいだは頭突きしちゃってごめんなさい! 千寿郎くんはパン喜んでくれましたか?」
「いやいや、気にするな! 俺が試してみたいなど言ったのが悪かったのだからな。お詫びなどいただいてしまって、かえって申し訳ないぐらいだ。しかし、この店のパンは本当にうまかったぞ! 千寿郎は食が細いのだが、いただいたパンは一度に三つも食べていた!」
大きな声で笑う煉獄に、炭治郎はホッとして「よかったぁ」と笑った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
それは煉獄と宇髄に初めて出逢った日の出来事だ。帰り道でこんな会話があった。
「そういや、おまえ犬を逃がす前にあの馬鹿にとっ捕まったら、どうするつもりだったんだ?」
冨岡が間にあったからいいようなものを、あんまり無茶するんじゃねぇぞと宇髄に言われ、煉獄にもそれはそうだと心配された。義勇からも心配の匂いがしたから、炭治郎はあわてて、でも自信満々に言ったのだ。
「捕まったら頭突きして逃げるつもりでした! 俺は石頭なので!」
「あのね、お兄ちゃんのオデコすっごく痛いの。前に転んでごっちんこしたらね、禰豆子血が出たんだよ?」
禰豆子がほらこことひたいを見せたら、宇髄や煉獄だけじゃなく錆兎たちまで目を丸くした。
「マジか。おまえどんな頭してんだよ」
「よっぽど強くぶつかったのか?」
「禰豆子ちゃん大丈夫だったの?」
「うん、すっごく痛くておっきなたんこぶできたけど大丈夫!」
笑う禰豆子に一同が、へぇ、とまじまじと炭治郎を見たものだから、炭治郎はちょっと恥ずかしくなって義勇をちらりと見上げた。義勇からはまだ心配の匂いがしている。
「……おまえは大丈夫だったのか?」
心配そうな匂いがそのまま声になったみたいに聞かれて、炭治郎が「大丈夫です、頭突きして痛かったことないですから」と笑ったら、義勇はなんとも言えない不思議な顔をした。
これはなにを考えてる顔なんだろう。首をかしげた炭治郎の顔を、煉獄がひょいと屈みこんで覗き込んでくる。
「ふむ。竈門少年、ちょっと俺に頭突きしてみてくれ! 自慢の頭突きがどれほどのものか試してみたい!」
「えー! やめておいたほうがいいです! 禰豆子みたいに、えっと、ノーシントー? っていうのになるかもしれないし……本当にやるんですか?」
「脳震盪起こさせる頭突きってマジかよ……派手な頭突きだな、おい」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
結果として、脳震盪を起こした煉獄を竈門ベーカリーまで背負う羽目になった宇髄から、炭治郎は非常事態以外での頭突き禁止を言い渡された。
お詫びと遊んでもらったお礼として、みんなに渡したパンがたいへん好評だったのが、救いと言えば救いである。
さて、そんな結末となった初対面ではあったが、煉獄と宇髄は、クラスメートの義勇だけでなく、錆兎たちや炭治郎と禰豆子のことも気に入ってくれたようだった。
とくに宇髄と錆兎はなにやら気があったらしい。もともとこのお泊りも、寮生である宇髄が寮母さんが休みを取る四日間おまえの家に泊めろと、錆兎に言ったのがきっかけらしい。
「家に帰りたくないからって、今までは寮が休みになると友達の家を泊って回ってたらしいんだけどな。俺の家に道場があるって知ったら、道場でいいから泊めろとか言い出したんだ、天元のやつ」
「煉獄さんもね、それなら自分も泊まりたいって言うの。義勇と稽古したいからって。義勇は煉獄さんのことちょっと苦手みたいなんだけど、鱗滝さんがせっかくできた友達なんだから泊まってもらえって言うから、OKしたんだぁ」
だから炭治郎と禰豆子も泊まりにこい。
そんなお誘いに、炭治郎たちまでお泊りして大丈夫なんだろうかと、お母さんたちはちょっと心配したけれど、鱗滝さんもぜひと言ってくれたので。まだ子供だけでバスに乗ったことがない炭治郎たちは、煉獄が迎えに来て一緒に行ってくれることになった。宇髄は途中から同じバスに乗るらしい。
いってきますを元気に言って、炭治郎は、禰豆子と手を繋ぎ弾むように歩く。
傍らを歩く煉獄の手には、炭治郎と禰豆子の服が入った紙袋と、全員分のお土産のパンが入った紙袋が二つ。肩にかけた煉獄自身のバッグや竹刀袋もあるから、大層な大荷物だ。
炭治郎は申し訳ないなと思ったが、煉獄はまったく苦にした様子もなく、軽いものばかりだから気にするなと言ってくれた。
元気で明るい煉獄は本当にいい人だ。仲良くしてもらえて、とってもうれしい。いつも静かで気配の薄い義勇とはだいぶタイプが違うけれども、煉獄も格好良くってやさしいお兄ちゃんだ。
宇髄だって派手でちょっと口は悪いけれど格好いい。それに、お喋り上手でお話しするのは楽しいし、本当はとってもやさしい人なんだろうと思う。
まだ逢ったばかりだけれど、炭治郎は二人が好きになったし、一緒にいると楽しい。
でも、やっぱり炭治郎が一番好きなのは義勇で、義勇と一緒にいると、誰といるよりもドキドキするのだ。
独り占めしたいなと思って、やきもちを妬いちゃうのは義勇にだけ。特別になりたいと思うのは、炭治郎のたった一人のヒーローである義勇にだけだ。
義勇はまだぼんやりとすることが多くてとっても無口だし、顔を見てもなにを考えているのかわからないことが多いけれど、一緒にいるだけで炭治郎はうれしくてたまらなくなる。瑠璃色のきれいな瞳に見つめられるとふわふわと幸せな気持ちになるし、ドキドキしてちょっぴり恥ずかしいような気持にもなった。
そんな義勇とずっと一緒にいられる、ワクワクドキドキのゴールデンウィークは、始まったばかり。